天寧寺
新撰組局長 近藤勇が眠る 天寧寺
天寧寺(てんねいじ)は、会津若松市東山町石山天寧にある曹洞宗寺院です。山号は萬松山。このお寺の境内裏手には、戊辰戦争に敗れ処刑された新選組局長、近藤勇の墓があります。
天寧寺は、文安4年(1447年)に蘆名盛信が大瞞行果禅師 南英謙宗のために陸奥国会津黒川東山に開いたといわれ、勧請開山は傑堂能勝であったそうです。かつては会津曹洞宗の僧録司を兼ね、末寺33カ寺、僧堂12を数えたとされています。
また境内には、会津七福神の毘沙門天や会津二十一地蔵尊の第10番 首無身代り地蔵尊が祀られています。
首無身代り地蔵は、家内安全、病気等の苦難から身代りとなって助けてくれると言われています。
近藤勇の墓は境内裏、山道をしばらく歩いたところにあります。
道の至る所に、道順を示す看板があるので、迷うこと無くたどり着けます。
取材で訪れたこの日は、天気もよく夏日と言っても良いような陽気だったのですが、耳をすますとウグイスの鳴き声が聞こえました。
とても静かで穏やかな場所です。
鳥羽伏見の戦いに際し敗走した新撰組は江戸に戻り、幕府の命により甲府へ出陣しますが勝沼の戦いで再び敗北してしまいます。近藤勇は大久保大和と名前を変えて下総国流山(現在の千葉県流山市)に屯集していましたが、元新撰組隊士、加納道之助の密告により捕縛され、土方歳三の助命嘆願も叶わず、慶応4年4月25日中仙道板橋宿近くの板橋刑場(現在の東京都板橋区板橋および北区滝野川付近)で斬首となりました。
遺体は東京三鷹市の龍源寺に埋葬されましたが、首は京都の三条大橋下流に晒されました。
この墓は土方歳三が会津戦の折、遺髪などを埋葬したといわれています。
墓石には「貫天院殿純忠誠義大居士」の戒名と、その上に丸に三つ引きの近藤家の家紋が彫られています。この戒名は松平容保公の書と言われています。
大河ドラマで再び注目される幕末。そんな幕末の歴史を感じられる場所が会津には沢山あります。